2018年2月24日土曜日

DEVILMAN crybaby を見た感想

デビルマンがアニメ化されるってんでちょっと楽しみにしてたので、みてみた。おしゃれ系アニメをやる印象が強い湯浅政明が監督をやるというので嫌な予感はしていたが、やっぱり見てみた。

DEVILMAN crybabyというタイトル。これなんだけど、オープニング曲が電気グルーブのもの。この時点でうわぁ、となってしまった。それで劇中に「無意味」にラップがでてくるので更にうわぁとなった。なんかラップで愛の告白までしてるし。他にはエログロ、ドラッグ、クラブカルチャー?、みたいな紋切り型のサブカルおしゃれ要素が満載でもう無理だと思った。

アニメでおしゃれやろうとすると、なんでこういうことになるんだろうと不思議に思う。こういうことって例えばSerial experiments lainとかでもやってるよね。あとは梅津安臣のKiteとかもこの感じのアニメじゃないかな。エウレカもこの系統のことをやってる。この人達のやってることをファッションで例えてみる。かっこいい服を着ましょう。さあどうする?全身Supremeで固める。終わり。こんな印象。電気グルーブは自分も好きだけど、この人達もうこの手のサブカルシーンで重鎮すぎるんだよね。アニメみてると、「またオープニング曲大槻ケンヂかよ?」ってイライラすることがよくあるんだけど、あれに似てる。こいつらねじ込んでおけばかっこよくなるよな?みたいな製作者の得意げな顔が思い浮かぶ。この人達をオープニングに持ってきてる時点でこのアニメの方向性はだいたい決まっちゃってる。劇中にラップを無理やりねじ込んできてるのもそうで、安直な格好良さを求めた結果がこれなんだろう?って思う。格好いい人達の権威や記号的な格好良さを借りてきて作品を飾り立てようとしてる感じ。

例えば洋服であれば、特定のブランド服に限らず服なんて無数に存在するわけで、お洒落にしたいなら自分でその無数にある服を選び、自力で組み合わせてお洒落を提示して見せるべきだと思うんだけど、 このアニメはそういうことしてない。Supremeを着て終わり、そんな印象。DEVILMAN crybabyはこういう、誰もが認めざるをえない権威を持ち出してきてる。これを入れておけばお洒落になるよな、というものを持ってきてアニメにしてみましたというそういう印象が強い。アニメに限らず、こういう手法で作られる映像作品からはなにも感じない。たとえばBlack Isle、BethesdaのFalloutはこういうことをしてない。誰もがカッコイイとは認めたがらないような1930年台の古臭いアメリカの曲をもってきてものすごい世界観を作り出してみせた。被爆者をゾンビ扱いしちまうような無茶苦茶不謹慎なんことをやってもあれだけの人気を得た。Falloutはテクノミュージックの重鎮、電気グルーブのテクノミュージックや「格好いい」ラップなんてなくても十分格好良い作品となった。DEVILMAN crybabyはそういうことができていない。

ほとんど内容に触れてないけど別に語らないといけない程の内容もないしまあいいか。面白いものを提示できていない。ありきたりな組み合わせのものしか提示できていない。これがDEVILMAN crybabyをみた感想です。だいたい電気グルーブもやっつけ仕事だろこんなもん。あのオープニング曲なんの印象も残らん。石野卓球、どうせこのアニメになんの思い入れもないんだろうな。人間大統領みたいな曲から感じられる熱があのオープニング曲からは感じられん。

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