フロム・ソフトウェアから発売された隻狼をクリアした。ゲーム自体はSteamで購入。サマーセールで20%引きだったので買った。近年フロム・ソフトウェアから発売されているゲームはどれも高難易度となっていて、隻狼はずば抜けて難しいと聞いていたので恐る恐るやってみた。たしかにかなり難しかった。
同じくフロム・ソフトウェアから発売されているダークソウルをやり続けていた自分だがそのダークソウルをやる感覚で隻狼をやり続けてとあるボスでほぼ詰み状態になった。このゲームはダークソウルのようにローリング回避ができず、動作中の無敵時間が短いステップ回避しかない。そのステップ回避を使ってボスの体力ゲージをゼロにするようなプレイスタイルを続けていたのだが、それではまったく歯が立たないボスがでてきてしまったのだ。そこでガードを使って敵の攻撃を弾くということをし始めた。相手の攻撃をタイミングよくガードすると相手はバランスを崩し、相手の体幹ゲージが増えていく。体幹ゲージが貯まりきるといくら体力が残っていようが相手をそのまま抹殺できる。いくら斬ろうがボスクラスの敵はダメージがまったく通らないので体幹ゲージを減らさなければどうにも勝てないということが理解できてやっと倒せなかったボスが倒せた。
ちなみにそのボスは平田屋敷にでてくるまぼろしお蝶というボス。漫画太郎の漫画にでてきそうな機敏で人間離れした動きを連発する婆さんだ。こいつがまあ強くて強くてかなり手こずった。しかし女ボスにするならもっと若くて美しい女性でもよかろうと思ったが、そこはフロム・ソフトウェアなのだろう。
まぼろしお蝶。見ての通り婆さんである。このゲームにでてくる女性はほとんどが婆さんだ。つまり婆さんゲームとも言える。
まあそんな調子でゲームを続けていたが、終始和風のステージが続き、背景といってもどれもがきれいで見とれてしまう。雪に包まれた廃寺や山城、竹林や紅葉、桜舞い散る宮、ススキ野原。鳥居に灯籠と卒塔婆と仏像に巨大石仏。敵には巨大な馬に乗る鎧武者がでてくれば、首なしの落ち武者や天蓋をかぶった尺八を吹く女幽霊なども出てきて怪談要素もある。仁王をやっていない自分はこういったリアル路線の本格的な和風の3Dゲームを実質初めてやったことになるのだがこのゲームの作り込まれた戦国時代の日本に単純に感動してしまった。この日本はハリウッド映画にでてくるような安っぽいオリエンタリズムから作られた日本ではない。
ステージで特に印象に残ったところが紅葉舞い散る橋の上で戦った破戒僧戦。ゲーム中下の画像にあるようなところで虫憑きと呼ばれる不死人になった尼僧と戦うことになるのだが、音楽も非常に良くて、更にステージも美しい。この破戒僧は3回殺さないと倒せないボスで結構な強敵なのだが、音楽とステージが素晴らしいので何度かやり直しをさせられても特に苦痛にはならなかった。この破戒僧が巨大な薙刀を振り回すとモミジが一面に舞い散るという演出があり、他のボス戦にはない工夫が凝らされており製作者のこだわりを強く感じ
た。
破戒僧戦の画像。降り積もる白雪と紅葉が美しい。ここが命の取り合いの舞台となるわけだ。
破戒僧戦のBGM
ゲームクリアまでにはおそらく65時間程度かかった。やり直しはだるいのでNPCイベントはすべて調べた上でこなし、いろいろと寄り道をしていたり最強のラスボス戦でかなり手こずったのでこのくらいの時間がかかった。ダークソウルシリーズも同じくらいの時間で毎回クリアしているのでプレイ時間自体は異常に長かったというわけではなかった。
このゲームは全体的に良くできてはいるし、その美しい戦国時代を舞台にした世界観は広く受け入れられるとは思うのだがいかんせんゲームの難易度が高すぎて万人がそのすべてを楽しめる作りとはなっていない。今回はオンライン要素がないのでゲームの難易度設定ができるようにしても良かったとは思うのだが。最近やったDivinity Original Sin 2 だって、難易度設定はあった。そこはフロム・ソフトウェアのこだわりなのかもしれないが、被ダメージを減らし与ダメージを増やすといった単純な調整をするだけで優しいモードは用意できるはずだろうに、この優れたゲームが限られた人間にしか届くことがないというのが非常に残念である。
あと洋画を英語音声日本語字幕でみる日本人と同じ様に日本の作品は日本語音声英語字幕で見る人が海外にはいる。英語だけはわかるので今作の英語はどういうふうになっているのか見てみたが、やはり日本語の時代劇風の言い回しは訳せていなかった。まったく対になる表現がないので当たり前ではあるが。「さらば」が「Farewell」となっていたり、「御意」が「It's alright」になっていたり。まあこういう言語の壁を見るのも面白いっちゃあ面白い。
最後にネタバレになるがエンディング含めてのゲームのストーリーの感想。今作は主人公が喋る。ダークソウルのように物言わぬ主人公ではない。主人公の隻狼は忍びの掟に従い竜の力によって不死となった竜胤の御子を守るのだが、その過程で片腕を失い一度は死ぬ。しかし竜胤の御子の力で蘇り、1度死んでも蘇る不死の体を持つようになる。ストーリーが進むに連れて、主人公は争い事を引き起こし、人々に竜咳という病をもたらすこの竜胤自体をなくしてしまおうとする御子の願いをかなえるために奔走することになる。竜胤の力を欲する人間は隻狼の義父、梟も含まれており、隻狼はその梟に竜胤の御子を裏切るように命令されるのだが、ここでストーリーが分岐する。最終的に梟に従うエンディングと、梟を裏切り竜胤をどうするかというエンディングに分かれるが、竜胤をなくす側のエンディングは悲しいものが多い。その中で、竜胤の御子を不死の呪いから開放し、人間に戻すというエンディングがある。竜胤の御子を竜胤から開放するためには、竜胤の誓約で不死となった主人公である隻狼が死ななくてはいけないのだが、そのために物悲しいBGMが流れる中、隻狼が自刃をする。すると血しぶきとともに桜が舞い散る。これは自己犠牲の精神や主従の掟の美しさなのだろうか。隻狼が主従の掟に縛られる人間ならば育ての親である義父の梟に従っていたはず。自身もまた竜胤に縛られ、だからこその力がもたらす厄災を十分に理解できていたはずだ。単純に主に従ったのではなく、自分の意思で主と同じ考えを持つにいたり、主と同じく竜胤をなくすという目的を達成しようとしたのだろうなと思った。その過程で自らの命を投げ出す必要があったからそうしたと。まあなんというか、このエンディングで隻狼のやったことは日本的な自己犠牲の極地である、神風特攻隊みたいなものと同一視されるのも違うかなと思ったのでちょっと一言言いました。